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吹奏楽に適したジャンルを求めて -20年間のアプローチ−
第20回定期演奏会(2001.06.10)プログラムより 音楽監督 柏木 利介
まだ10代だった20数年程前、それまでクラシックを中心に聞いていた私は、M.ファーガソン、ウエザー・リポート、チック・コリアなどの作りだす強烈なジャズに酔いしれていた。そして自らもトランペット吹きとして高い音を出すことに憧れ、大学時代も吹奏楽ではなくビックバンドに所属し、ハイノート・ヒッターとして演奏活動をしていた。同じ頃、ジャズの基本と言われるカウント・ベーシーの演奏にも触れたが、最初に聴いたベーシーのサウンドはインパクトに欠け、単なる古くさい昔の4ビートとしてしか耳に残らなかった。しかしさらに深く聴くにつれ、その響きには心があること、そしてジャズがなんとも奥の深い「生き物」であることが、序々に理解できるようになってきた。彼は私に音楽とはかくも楽しいものだ、ということを教えてくれたのだ。その後は、さらにジャズの世界にはまり、マイルス・デービスや、ギル・エバンスに触れていくことになる。それと共にジャズと吹奏楽との融合、つまりギル・エバンスがジャズの世界に様々な管楽器を取り入れていったように、反対に管楽器を主に構成される「吹奏楽」からジャズへの歩み寄りという方向性があってもいいのではないか、と考えるようになっていったのもこの頃である。
その当時私は「鷹吹」の前身である三鷹4中のOB会を立ち上げ、吹奏楽活動も行なっていた。初めのうちは音楽とはなんであるかも全くわからず、ただやみくもにいろいろなことをやっていたものである。当然ジャズがどういったものであるかもよく解ってはいなかったが、とにかくベーシーの心地よいサウンドが気に入っていた私は、彼の曲の一つである「オレンジ・シャーベット」を吹奏楽にアレンジし、鷹吹での演奏を試みた。しかし当時の団員達の反響は意外なものだった。「こんなの吹奏楽じゃ無い!」というならまだしも「こんなの音楽じゃない」 という人もおり、そのような考えを持つ団員は去っていった。私はあえて吹奏楽で「オレンジ・シャーベット」を取り上げた意味をうまく説明できず、去っていく人たちの後を見送るしかなかった。
それから数年後に「吹奏楽コンクールにポップスやジャズで出演する」という試みを始めた。これはある意味、当時主流であった旧来の「吹奏楽」という体系に頑なに固執していた人々に対する挑戦でもあったわけだが、そのメッセージを団外のみならず団内にも発したいと思っていた。当然、この試みに反対する人達は鷹吹を去っていった。しかし意外なことに、こういった主旨に賛同する別の人達が集まってきた。彼らの多くはこれまでの「吹奏楽」のあり方に飽き足らず、「さらに新しいサウンド」を求めていた。「鷹吹」はそれから産まれ代わり、新しい吹奏楽、そして新しい音楽を追求したい、という思いを持つ人達が中心となって進んで行くことになった。。
ところで私が20年前に考えていたのは、ジャズとクラシックの狭間にあった「吹奏楽」というものの在り方だった。当時の吹奏楽界は、オーケストラの真似としての音造りにやっきになり、またその評価も「いかにオケに近い演奏ができるか」に偏っていたように私の目には映った。しかしオーケストラの曲はオーケストラの演奏で聴けば良いのであって、それを「ただ単に真似しようとしている吹奏楽」で聴いてもさほど面白くはないことは明白だ。私はもっと「吹奏楽」という管楽器主体の編成やサウンドに適した曲を演奏すべきではないかと思っていた。そこで考えたことの一つが、吹奏楽でジャズを演奏することだった。そして様々な曲を聴き、吹奏楽に適した曲がないかと探し回った結果、今回演奏するチック・コリアの「ミュージシャン」がその候補の一つに挙がった。この曲はシンフォニック的な要素や、管楽器の和音的要素が濃く、まさに多数の管楽器が属する「吹奏楽」といった形態での演奏が適していると感じている。そしてチック・コリアの演奏を単に真似ることを目指すのではなく、前述したようなシンフォニック的な要素を意識し、「吹奏楽」風な演奏をすべきと考えている。つまりかつてクラシックを取り入れた「吹奏楽」がオケの模倣を目指していたように、ジャズを取り入れた「吹奏楽」が単にジャズバンドの模倣になってはいけないのである。吹奏楽はオーケストラでもジャズバンドでもなく、あくまでも「吹奏楽」なのであり、だからこそ吹奏楽ならではの特有なサウンドがあって然るべきである、というのが私の考えである。そのような観点で今回この「ミュージシャン」という曲を選び、また委嘱アレンジをお願いするに至ったのである。
このような吹奏楽の在り方について考え始めてから実に20余年、この曲をいつかは演奏したいと思っていた。今回念願かなって、真島俊夫さんにアレンジしていただいた譜面を見たときは、実に感無量であり涙ぐみそうになった。我々の演奏はまだまだ未熟であり、このような大曲は手に余るものであるかもしれない。それは自分でも十分わかっているつもりである。しかし20年間にわたって構想してきたことが、今やっとより現実的な形を成し、始動しはじめた予感、そしてその喜びはなにものにも変えがたい。その結果が出るのはまだまだ先かもしれないが、あえてこのような難しい曲に臨むことの意味が形になっていく日がくると信じている。またこのような一見無謀とも思える挑戦をすること自体、アマチュアバンドの守備範囲を超える小生意気な行為である、というご意見もあるかと思う。しかし損得や利益を念頭におかずとも自由に活動できるアマチュアだからこそ、このような、もしかしたらリスクが大きいかもしれない挑戦も出来るのではないだろうか。
私にジャズの面白さを教えてくれた、ベーシーの日本公演を聴いたことがある。いつものようにウインド・マシーンで始まり、全ての曲を終え、演奏者は舞台を去っていった。 しかし鳴りやまぬ拍手。ベーシーは一人舞台に立ち、ある和音を引き始める。すると舞台裏からドラムやベースが次々と舞台にやってきて、演奏に加わり始めた。そしてとうとう舞台に、演奏者全員が微笑みながらスタンバイし、それをにこやかに確認するベーシー……「オレンジ・シャーベット」が演奏されたのである。そんなすばらしいステージを聴かせてくれたベーシーだった。彼はその数カ月後にこの世を去ることになる。そして、これが日本での最後の演奏会だった。
思えば「鷹吹」も、私、岩村、諏訪部の3人で始めたバンドだった。そしてそこに1人、また1人と加わっていき、現在の姿がある。今後30、40周年…と、笑って迎えられるように、そして「鷹吹」ならではの斬新な音楽をいつまでも追い求められるよう、がんばっていきたいと考えている。