.

Menu

50人いても一人一人の人間が演奏しているのだ − そして音楽は人間が演奏している、ということ

第17回定期演奏会(1998.6.21)プログラムより 音楽監督 柏木 利介

今回の定期演奏会では第1部と第3部の最後に重きをおいた選曲になっています。第1部の最後には、この吹奏楽団始まって以来というべき大曲の「火の鳥」を演奏致します。少々消化不良の感がありますが、精一杯演奏致しますので、どうぞお聴きください。

「火の鳥」はとにかく難しい曲です。何が難しいのかと言いますと、50人全てに欠けてはならないソロが含まれているからなのです。つまり1人欠けても演奏が成り立たなくなります。通常の吹奏楽曲は、全員で演奏する時は結構リラックスできます。下の音を吹いている人は上の音に、なんとなく合わせていれば、それで結構曲は成り立ってしまうからです。しかし、この曲はそうはいかない。そして、この曲が難しい理由は、ゆっくりなフレーズでも速いフレーズの中でも、次から次に、楽器から楽器へとメロディーの受け渡しが頻繁に行われていくことにあります。これを演奏するためには、全員が全体の演奏のイメージを思い浮かべ、その中で自分が何をやっているのかを認識する必要があるのです。つまり、自分の役割をつかむ、そして他人に頼らず自発的に演奏する、それができてこそこの「火の鳥」は成り立つ曲なのです。 なぜ、このような曲に鷹吹はあえて挑戦したのか? その理由は簡単です。メンバーが曲全体のイメージをつかむことが下手だから、そして人に頼らず演奏することがさらに下手だからなのです。「自分ぐらい間違えても、きっと目立たないだろう!」と思っている人がいるバンドは、それ以上はうまくなりません。この曲はそれを打ち破り鷹吹がさらに向上するために、「一人一人が考える」という最高の練習材料として適していた、だからこそあえて選んだということなのです。ある意味で賭けなのですが。 鷹吹内というわけではなく、最近自分で考えない人、考えられない人を多く見受けます。本人にとっては人から言われることを待っているという前向きな姿勢がある、と考えれば人から言われないと何もしない人をあながち非難できませんが。でもそれは間違っています。自分で考え、自分で行動し、その力を身につけるべきと私は考えています。 音楽では、全体の中で一人一人が考えて演奏することによって、強制され、訓練された音とは全く異なった響きが生まれてくるのだと思います。それは単に音が合っているかどうかだけに観点をおいて作られたものとは根本的に異なるはずなのです。一般に吹奏楽の演奏会が、なぜあまり面白くないのか? あまりお客さんを集められないのか? ということは、そういった人として、演奏者としての個性がなく、機械的に演奏しているバンドがあまりにも多いことにあるのではないか、と私は考えています。そこには「人間が行っている音楽という要素が感じられない」、ということでもあります。

私が鷹吹で棒を振る時は昔から個人を尊重してきました。全体のために吹くのではなく、個人個人が音楽を突き詰めていって、そうした作業の上に出来上がったものが結果的に全体のために良いことであればいい、というスタンスをいつも考えてきました。それはきっと他の普通の強制されて音楽をやっている団体とは全く違った見解なのだと思います。近頃、なんらかの事件や事故が起こると、「監督不行き届き」であるとか、「全体としての管理が……」というようなことが言われがちですが、逆に今の日本では個人の自由が足りないのではないでしょうか。枠にはめないで、個人個人をもっと尊重し、一人一人の考える能力を高めていくべきなのだと思います。各自が考えた結果が集結し、それがある種のまとまりのある結果を生み出したときに、全体が最高の状態にまでたどり着く事ができるのだと思います。つまり、それが本質的な「人間の管理」なのだと思うのです。会社や仕事ではそういったことは簡単には実現できません。しかし我々は趣味で音楽をやっているのだから、そういった試みが許されてもいいのだと思います。そして趣味でやっているのだからこそ、様々なしがらみに惑わされず、本質的にやるべきことに"まじめに"チャレンジし、取り組むべきなのだとも思います。 鷹吹はあえて今回このような大曲に挑みました。結果は成功か失敗か、それは御客様に判断していただきたいと思っています。

今回の演奏会では第3部の最後に「ロング・イエロー・ロード」という曲を演奏致します。この曲は今から40年以上前に渡米した秋吉敏子というピアニストが作ったビッグバンドの曲で、これを今回吹奏楽用にアレンジしてお贈り致します。 40年前と言えば、まだ第二次大戦の終わった余韻を残し、敏子さんはそうとう苦労してビックバンドジャズをアメリカで確立していったのだと思います。つまり、敏子さんがアメリカでピアニストとして渡米したころは、はっきり言えば日本人は「ジャップ」と呼ばれるか、「イエロー」と呼ばれ差別されていました。その苦難を乗り越えた彼女にとって、この「ロング・イエロー・ロード」は、まさに彼女の半生を描いている自叙伝と言うべきもので、「ある一人の日本人の長い道のり、そして足跡」と翻訳されるべき曲なのです。 しかし欧米人にとって黄色という色は、東洋の代表各である中国の黄河の黄色ともつながり、神秘的な意味合いと共に大きな雄大なイメージにもつながっています。様々な黄色の意味がこの曲の奥底には流れているのです。 また、敏子さんは欧米人特有のゴージャスな「華」ではなく、か弱き「一輪の花」である、ということも、テーマの1つになっています。そして「日本人の心」として彼女が作った歌(メロディー)は演歌ではなく、童謡調の美しいメロディーにあり、しかも「赤いくつ」のように、しっとりと歌われなければならないのです。そこには「華」は無く「花」だけが残されていきます。 このような情感があいまったものとして、この曲「ロング・イエロー・ロード」をお聴きになってみてください。

ところで、鷹吹は実に20年程前から、同じ管楽器形態の音楽としてのジャズと吹奏楽の融合性について考えてきました。その1つの結果として昨年度は同じく秋吉敏子のジャズ曲である「カドリール・エニワン」を演奏し、東京都の一般吹奏楽連盟のコンクールでやっと「銀賞」をいただきました。今後とも更にこのような活動を行っていきたいと考えています。そして今回の演奏会がさらなる飛躍につながればいいと思っています。 いろんな意味を含めまして、みなさん、我々の演奏する曲を聴いてみてください。どうお考えになりますか? そしてご感想をお聞かせ願えれば、と思っています。

最後に、団長の「ごあいさつ」にもありますように「ロング・イエロー・ロード」はコンピュータやe-mailを活用して、私を含めた団員の数人の協力の元に吹奏楽用の譜面に仕上げられました。曲を作ることにこんなハイテクが道具として活用されるようになったのも、敏子さんが渡米した当時には考えられない進歩ですね。 しかし、どんなに物が豊かになっても、敏子さんのような情感あふれる音楽を演奏していくということを通して、音楽は人間が演奏しているということ、そして人間味のある演奏をしていこうという気持ちは忘れたくないと思っています。