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14年ぶりに演奏する「木星」
第18回定期演奏会(1999.6.27)プログラムより 音楽監督 柏木 利介
1985年「鷹吹」は窮地に立っていた。演奏会を開催できるような見通しは何も立っていなかった。なんとかかき集めた演奏者は28人、しかもエキストラばかりだった。運営もすべてを2〜3人でやっていた。金も無く、プログラム、チケット、チラシは社会教育課の輪転機をお借りして自作していた。紙も買えないので文房具屋の友達からもらっていた。
たとえば市という強力なバックのあるバンドとは違い、一般のバンドが何の援助も無い状態で演奏会を行うには、自分たちの力ですべてを行わなければならない。ほんの数人の友達だけで何の社会的援護も無いバンド、そして力量も無い自分たちのようなバンドはどうしたら良いのだろうか?
「鷹吹」は三鷹2中、4中の吹奏楽部OBという友達付き合いを元に発足し、当時すでに数年が経過していたが、友達付き合いだけで数年〜10年以上に渡って活動を続けて行くことには無理があった。1985年は「単なる友達関係のバンド」と「音楽をやる仲間」という意識の違いが表だち、崩壊すれすれの状態にあった。友達といった人間関係を重視する人達は、自分たちが楽しめれば良い、といった観点を持ちがちだった。「音楽」とは元来「音を楽しむ」ということなのだから、というのが、彼らのあげる理由だ。しかし、そこにはただ勝手に音を出している、ということ以上のものは望めなかったように思える。重要なことは「音楽」とは「音を楽しむ」のではなく、「音を使っていかにハーモニーを作って楽しむのか」という点にあるのだと思う。
その当時、僕は覚悟していた。つまり、この演奏会がもしかしたら「鷹吹」の最後の演奏になるのかもしれない、ということだった。そして「鷹吹」の最後の演奏会として「やりたいことをやろう」という気持ちだった。それはアマチュアといえども演奏活動をする者の端くれなら、人生終わる前にこれだけは演奏しておきたい、という気持ちであり、その曲は何なのか、ということだった。そして選んだ曲はホルストの「木星」という大曲だった。「木星やって花と散ろう」を合言葉として、その年の演奏会は行われた。
結果としては、演奏自体はとても人に聞かせられるようなものではなかったが、腹をくくって臨んだ「木星」の演奏を境に、このバンドはある変化を見せた。本当に音楽を演奏したい、という仲間が残って行ったのである。そこには単にOB会としての友達以上に、本当の友達関係も生まれてきたように思える。また同時に、このバンドでしかできない音楽を作っていこう、という意識が芽生えてきたのもこの頃である。それは「吹奏楽でリズム系の強いポップス・ジャズを演奏する」ということだった。
それから14年が経過し、東京の一般の吹奏楽団体の中でも風変わりで、しかしポップス・ジャズ系の音楽をやらせたら右に出る吹奏楽団はあまりないだろう、というバンドとして「鷹吹」は生き残っていると自負している。また、そういったことに興味を持った人達が常に集まってきているバンドだと思う。
今回の演奏会では14年ぶりに、また「木星」を演奏します。しかし今回は演奏者が 28人から60人になっただけでなく、単なる友達関係を越えて集まってきた、ある意味本気で「音楽」をやりたいと思っている仲間とともに演奏を行うことができるようになったことを一重に嬉しく思います。また三鷹市芸術文化協会、三鷹市教育委員会、東京都一般吹奏楽連盟に後援をいただくなど、やっと軌道に乗ってきた感があります。しかし演奏自体はまだまだ、と御批判を受ける内容だとは思いますが、これはもう14年お待ちくださいネ。......m(_ _;)m
ところで「鷹吹」としてはポップス・ジャズ系の曲の中に、新しい吹奏楽のサウンドを表現できる曲があるのではないかということを念頭に置きつつ、常に模索していますが、今回はその一環として、真島俊夫さんアレンジの曲を中心に取り上げてみました。「ラプソディ・イン・ブルー」「アンフォゲッタブル」「いつか王子様が」等の他の吹奏楽団では聞かれない、リズム系主体の吹奏楽サウンドをお楽しみ頂ければと思います。